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japanese artist × creator

安奈淳

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濱野奈美子


新章の開幕を告げる、まだ誰も知らない「安奈淳」の姿

芸能生活55周年。

いつも変わらない 。いまも変えない 。
無駄なものをすべてそぎ落として……そこに「私」が生きている。
「私、安奈淳」、その日常から芸の真実までこの1冊に刻む。
2019年12月、ヤマハホールで開かれた、芸能生活55周年記念リサイタル。
宝塚時代の、そして、シャンソンの名曲の数々を熱唱し、ピアノの弾語りでも観客を圧倒的な感動に包み込んだ。ミステリアスに輝く安奈淳の新章が始まった。
本書「安奈淳スタイル」は新章の開幕を告げる、 まだ誰も知らない「安奈淳の姿」。

本の発売から半年。台風が近づく雨の銀座にて、再び安奈淳に取材した。
シルバーグレイヘアの安奈淳は変わらぬ輝きに充ちていた。

コロナ禍を生きるということ

9月2日にコリドー街にある「 蛙たち」という シャンソニエで5ヶ月ぶりにライブをやりました 。

お客は25人しか入れていなくて 後はオンライン配信を初めてやりました。

みんな配信をテレビで見るのね。
びっくりしちゃったんですけど、スマホをテレビにつないでテレビで見るんです。もうやりにくいったらありゃしない(笑)。 目の前はパーテーションですから水族館の中で歌ってるみたい 。
でもまあこういうことになってくるのかなと思いましたけれどもね 。
コンサートはできないですからオンラインで、ということに。
もう諦めていましたけれどもね。仕方ないです。

自粛期間中は諦めて、なんとなく意欲も失せて、家で料理を作って、普通の生活をしておりました。
私はルーティンを決めて それを崩すとダメなんですよ。
生活のパターンは全く変えないで本当に普通の人の生活でした。だから人前で歌うというのはものすごく緊張しました。

いろいろな企画が次々に延期になって、次はできるんじゃないかなと思っても、あぁ、まただめかもしれないなとなって。
美川さんとやるコンサートは 美川さんがとても入れ込んでいらっしゃったから。
そのために3 kg ダイエットしたとおしゃっていたんでね。
それが再三延期になって……でも、ニュースを見ているとダメっていう感じが強かったですよね。
(※10月10日、無事開催されました)

こんな経験はもちろん初めてです。とにかく生活パターンを崩さずに。
普通と違うことをすると体調を崩すのが嫌だから もうそれだけですね。
この歳ですからダラダラとした生活をしていて元に戻らなくなったら嫌だと思って体調に気を付けていました。

ボイストレーニングは仕事をしていた時は毎日していましたけども毎日はやっていなかったです。
差し迫った仕事が分かっていればやりますけれど何ヶ月も先となると……トレーニングには行きますけれどね、家では今までやっていたトレーニングはやらなくなりましたね。
怠けていました (笑)。

引っ越しをして今度は家でピアノ可になりましたから、やるときはガンガンピアノを弾いてできるようになりました。
今までは 遠慮しつつちょっとずつしかできませんでしたから。

延期されていた予定のしわ寄せが来まして 、全部10月に固まって入ってしまって。10月は毎週スケジュールがあります。
東京だけでなく地方もあって、みんなに心配されています。
こんなに詰まると思っていなくて、スケジュール見てびっくりして。

来年から私、仕事を絞って半分くらいにしようと思っているんです。
身体的につらくなってきたので。
長く歌うためにはちょっと減らしてないとダメなような状態になってきました。だから来年はあんまりガンガンやらない。

記憶力と、母の記憶

後ろ向きということではなく仕方ないんです。
私がまだ50代くらいだったらこれから頑張りますって言えるんですけど、やっぱりそう言える年代じゃないんですよね。
いかに一つの仕事をどっしりとできるかっていう問題になってきましたから。
体がすごく丈夫なわけではなくて、何年か後には手術もしなければいけないということもありますし。
それまでに具合が悪くなったら困るので、それは仕方ないですよ。自分の体は自分で守らないと誰も守ってくれないし。
もうね、覚えることがつらいんです。
記憶力が……おそらく皆さんそうかもしれないと思うんですけど、記憶力の減少著しいものがございまして、びっくりします。
それでも自分を鼓舞して覚えようとすることが脳にはいいのかなとも思いますけれど。私が覚えるというのは、歌詞のことなんですけどなかなか頭に入っていかなくなってしまって、こんなことになるとは思いませんでしたね。

私はセリフとか歌詞を覚えるのがものすごく早い人だったんです。
宝塚の時から1回見たら絶対覚えるって自信みたいなものがあったのね。
でも20代って記憶力のピークなんです。
だんだんだんだん衰えてきて、この間73歳になりましたけれど、後はもう衰退のみっていう(笑)。
それをどう自分の頭の中に叩き込めるかというのが私なりの課題ですね。

歌っていて、もし歌詞を忘れたらという恐怖心は歌っている人にしかわからないですよね。
考えなくても言葉が口から出るように、そのくらい練習しなければダメなんです。
そういう努力は欠かせないですね。
それには体が健康でないと。
それのみです。
先のことは考えられない、決まっている事だけはきちんとしようって。
こういうことを言うと後ろ向きって言われるかもしれないけど。
それだけですね。

すごく集中力がいるんです。
やろうと思えば短時間の集中力はすごくあるんです。
でもそれが続かないですね。
体調をちゃんと整えることによって持続時間を少し伸ばす。
睡眠をちゃんと取る、食事も考えて取る、ということくらいしかないから。
他の方のことは存じ上げないけれど私にとって芸事っていうのは、限られた寿命の中でごまかしごまかし自分の体を使ってやってきたものですから。
60歳くらいで死ぬと思っていたので。

母が58歳で同じ病気で亡くなっていますから、私も60歳くらいで終わりかなと思っていました。
それが一回り以上も経ってこうやって息しているっていうことは何か意味があるのかなって思うし。
自分でコントロールして歌を歌っていくためにはどういう風にしたらいいかということは、ぼんやりとした展望じゃなくて本当に実際的なことなのよね。
すごく神経質って言われるんだけれど、朝は何時に起きてこれしてあれしてって自分で決めたことを、やっていかないとモチベーションが保てないというか。
いやほんと、生きていくって大変ですよ(笑)。

こういう仕事をしていく以上は、例えば着るものはどうでもいいとか、人として身だしなみが気にならなくなったら終わりですよ。
それだけは死ぬまで固持すると。
お洒落をしたり……女だからね。そうやっていつもきちんときれいにしていたいという気持ちがなくならないようにはしています。
それは全部歌に通じるんですよ。

私の仕事は歌うこと

仕事をくださるのはとってもありがたいです。
でもそれを選んでいかないと。何もかもやっていたら自分が潰れるなとこの頃意識し出したんです。
わがままと捉えられるかもしれませんけれど、本当に自分の体は自分しか守れないので。

コロナは怖いですよ。
私、もし今かかったら重症化して絶対に死んじゃうなって思うから。
肺がやられるわけじゃないですか。
私は膠原病になった時に肺から最後心臓にまで水が来て呼吸困難になって、プールで溺れているような状態で担ぎ込まれたんです。
その時の苦しみをまだ覚えているのね。
息ができなくなって、意識もわからなくなって、「今晩が山です」みたいな経験をしていますから、もうあんなことになるのはイヤって思うし。

私の知り合いでもコロナで亡くなった人がいますからね。
誰でもなるんだなって。
どれだけちゃんとしていてもなる人はなっちゃうところがあるじゃないですか、コロナって。
ワクチンを早くなんとかしていただかないとね。

先日ライブで歌いまして、遠くで来られない方や病気で入院している方もライブ配信で聴けたとものすごく喜んでくださったそうなんです。
だからそういう、人が外に出ていけないとか、なんとなく落ち込んでいる時に私が歌って少しでも「気分が晴れたわ」って言ってもらえるのなら、それが数人でもいいんです。
それは歌っている意味がありますよね。
何のために歌っているかって言ったらやっぱりそういった人たちの……それを聞いてくださる人が第一です。
そのためには今の状態をなるべく……時間が経って年をとっていくのは仕方がないけれども、いかに持続させていい歌を歌えるかということですね。

お陰様で声は年々出るようになってきているんです。
不思議ですよね。
トレーニングしているせいもあるかもしれないけれど、人間の声帯っていうのは死ぬまで……それはオーバーかもしれないけど……楽器と一緒で磨いていれば大丈夫です。
ダンサーと違って歌手は長持ちするんですね。
私の声帯は結構、鍛えてますからね。

絵を描くということ、その後

絵は最近描いてないですね。
頼まれないから。頼まれれば書きますけど。

(龍の絵 ※「安奈淳スタイル」P191)これはファンクラブの人に年賀状を出すからって描いたの。辰年だからって頼まれて。

私が自分の意思を通して美術学校か何かに無理やり入っていたら、今や頓挫してどうなっているかわかりませんよ。
絵を描くというよりも舞台装置とかそういうことをやりたかったんですよね。何かそういう美術に関わる事をしたかったんですよね。
でも、思っただけで実際には何も才能がなかったから……歌うという選択があって良かった!

絵を描くときは何も考えてないんです。何も考えないでただ描いています。  

母のために

私は考えが浅いんですよ。
それは自分の欠点。物事を深く考えるってことをしないんです。
子どもの時からそうなの。
思いついたことをすぐ口にするし、1日熟慮してってことはないんです。
年を経ても一緒です。
ものすごく欠点だと思いますね。
「それ今結論を出さなきゃいけないの?」ってよく言われます。
でも、そうしないと気持ちが悪くて「もう今答え出して!」ってなるんですよね。
それは子どもの頃から変わらない悪い癖です。

妹にも渾々と言われるんです。
私、美樹っていうんですけど、「美樹ちゃん、お願いだから一回自分のお腹の中で反芻してから物を言って。人を傷つけるよ」って。
でもパッと言っちゃうんです。
人を傷つけるってそういう他意は全くなくて、思ったことを言ってしまわないと気持ちが悪い。何か決めなきゃいけないことを「ちょっと待ってください、一晩考えますから」ってことは絶対しない(笑)。
一晩考えているうちに忘れちゃうから。

そんなふうにあまり深く考えないで今まで生きてきましたけれども、これまでを振り返る本を出して改めて、残りの時間のほうが少なくなってきたってことをつくづく思いました。
CDも15年ぶりに出ますね。
55周年というのも、私は「どこから数えるんだろう?」って思ったくらいなんです。
人に言われなきゃわからなかったから。
でも、それだけ歌ってきたんだと思いましたね。
55周年って言ったらすごいことじゃないですか。
「55年をこの世界で歌ってきたってすごくない?」って自分で思って、「あ、これはもうあと少しなんだなぁ」ってことは思いましたね。
初めてそんなこと思った。時間のこととかそういうこと考えないで来たから。

でもね、波乱万丈とはいかないまでも、明日死にますよ、今晩が山ですよ、お葬式の用意してくださいよ、みたいなことが2回……3回くらいあって、それでもここまで生き抜いてきたってことは、きちんと人生を最後までやり終えてってことだと思うんです。
母は58歳で亡くなりましたけれども、きっと思いの半ばだったと思うんです。

母のためにも……大好きな母でしたから、母の分も生き切ろうと思っていますけどね。

(取材・構成:溝樽欣二)

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