photo:吉田留美
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賀来タクト
ユン・ガウン監督 × ソ・スビン(主演)× 小橋めぐみ(司会)
11月30日(日)、第26回東京フィルメックスのトークイベントとして行われた『「わたしたち」から「The World of Love(英題)」へ:ユン・ガウンが見つめる少女たちの世界』のリポートをお送りする。
小橋めぐみ スビンさんは日本が大好きで、来日も今回が5回目ということを伺ったのですが、今回の来日はいかがでしょうか。
ソ・スビン 以前は旅行で来ていたんですけど、そのときは日本の食べ物やファッション文化にふれたりして楽しんでいました。「The World of Love」の撮影直後にも京都へ行って秋を満喫させていただいたんですけど、今回は私が撮影した映画を紹介するために来日することができて夢のようですし、感慨深いです。
小橋 「The World of Love」はユン・ガウン監督にとって前作「我が家」(2019/日本未公開)から6年ぶりの新作となります。過去の痛み、災難そのものを描くのではなく、過去に縛られず懸命に生きようとするジュインの姿にとても心を打たれました。特に「私の人生は壊れていない」という台詞がズシンと響きました。この作品を作るきっかけ、経緯などを教えていただけますか。
ユン・ガウン 私にとって3本目の映画です。当初は、心の傷を全面的に描こうと考えてスタートした作品ではありませんでした。ひとりの子がどんなふうに愛を探して、その愛を実践するのかを描きたいと思って始めたのが最初です。そんなとき、ちょうどコロナ禍に見舞われ、まるで世界がシャットダウンしてしまったような状況になりました。そのとき、私たちはこれからどれくらい生きていくことができるのか、このまま世界は以前のように回っていかないのではないかと恐怖を感じ、もし自分が最後に映画を作るチャンスに恵まれたとしたらと考え、心の傷、苦しみを見つめながら前に進むようなストーリーを映画にしたいと思うようになりました。パンデミックという悲劇が起きてしまいましたが、きっとまた別の悲劇は起きる。悲劇と共に生きるならどうしたらいいのかということを考えながら、この映画を作ったわけです。
小橋 パンデミックが起きなかったら、違う作品が生まれたかもしれませんね。監督は今夏の脚本を作る中で影響を受けた作品として、いくつか文学作品を挙げられていますけれど、そのうちのひとつにペク・オニュという作家の『ユ・ウォン』という小説がありました。この小説を手に取った理由などを教えていただけますか。
ユン・ガウン 実は、この本が出版されたときに推薦文を書いてほしいという依頼があったんです。恐らく私が子どもや青少年に関する作品を作っていたからでしょう。これまでにも時々、青少年向けのものへの推薦文を頼まれていたんですけど、読んでみたらすっかり夢中になってしまい、とても深く感動しました。『ユ・ウォン』には少女たちが多く出てきますが、悲劇を生き残った生存者のお話でもあって、一歩一歩、前へ進んでいく姿が描かれていたんです。新しい人生で新しい選択をして前へ進んでいく。その姿に感銘を受けました。
小橋 ジュインの勇敢な姿に重なりますね。スビンさんをそのジュイン役に選んだ理由を教えていただけますか。オーディションがあったと伺いましたけれど。
ユン・ガウン ソ・スビンについては、プロフィールが書かれた書類で存在を知りました。そこには何の経歴も書かれていなかったんです。「彼女の演技をどこで見たらいいんだろう」と思っても確認ができず、写真だけで判断するしかなかったんですが、その写真を見ていたら彼女の目が書類から飛び出してきそうなほど生き生きとした印象があって、ぜひ会ってみたいと思ったんです。最初は20~30分ほどふたりでお話をしました。そのときのソ・スビンはすごく照れくさそうにしていて、でも礼儀正しく、今まで経験してきたことを堂々と話してくれたんです。彼女の多様な面を知って、また会いたいと思い、次にワークショップに参加してもらったら、ほかの参加者の演技に合わせるような柔軟な対応を見せてくれました。まるで、いろんな器に盛ることができるような演技で、ますます一緒に仕事をしたいと思ったんです。もうひとつ。シナリオを書いているときにテコンドーをしている女の子という設定にしていたんですが、実はソ・スビンが8~9年、テコンドーをやっていたと知って、これはもう運命だなと思いました。
小橋 本当に運命ですね。スビンさんは演技経験もない中で初めての映画主演だったわけですけれど、緊張や重圧などはありましたか。
ソ・スビン 私にとって映画を撮ることは想像だけの世界で、夢のようなことでした。嬉しい気持ちもあったんですけど、それ以上にプレッシャーの方が大きかったです。現場ではすべてが初めてのことで、いってみればデータベースが何もない中で映画を撮ることになったわけです。ただ、何も知らないからこそ、自由に動くことができたところもあります。現場では監督の言うことをしっかり聞いて、周りには素晴らしい俳優さんがいらっしゃったので、みなさんに囲まれて楽しく撮影ができました。
小橋 特に学校でカメラを向けられて踊っているシーンはすごく自然で、演技とは思えませんでした。
ソ・スビン 撮影前に2ヵ月くらい準備期間があったんですが、監督が友だち役の俳優さんにたくさん会わせてくれました。一緒に登山に行ったり、ランニングをやったり、撮影前にとても仲良くなっていたんです。学校での撮影では、私たちも撮影とは思わず、普段、過ごしているような感じでやることができましたので、私も楽しくできました。小橋さんにもそのように感じていただけたみたいで、とても嬉しいです。
小橋 私は演じるとき、ときどき役を離れるのが寂しくなるときがあるんですけど、スビンさんはいかがでしたか。
ソ・スビン ジュインとお別れしなければならないことを悟るまでに、かなり長く時間がかかりました。なかなか分離できなかったんです。ただ、お別れできたかなと思った出来事が最近ありました。映画館にひとりで行って、この映画を見たとき……もう私にとっては6度目の鑑賞だったんですけど、そのときに不思議な感覚に囚われたんです。最後のシーンでジュインが画面の外に出ていくのを見たとき、「ジュイン、また来るからね。元気で過ごしてね」という気持ちになりました。あ、もうジュインは私ではなく、ほかの人なんだと。撮影が終わった直後は、自分の中でまだモヤモヤしたものがありましたけど、2ヵ月くらい毎日のように横になっては考えていたんです。先ほどお話ししたように、撮影後、日本に来たとき、それもジュインとなかなかお別れできなかったから、といえると思います。旅行で気持ちを切り替えたいと考えていたことを思い出します。この質問は初めていただきました。いい質問をしていただき、ありがとうございます。
小橋 ぜひお伺いしたかったことでした。ありがとうございます。ほかの役の方のことも伺わせてください。母親役(チャン・ヘジン)も魅力的な人物で、特に洗車場の場面では気持ちをぶつけてくる娘に対して、抱きしめるわけでもなく、気が済むまで吐き出させていました。その姿がとても印象的でした。あのような母親であったことで、ジュインが過去に縛られずに自分の人生を行きようとすることができた一因になったのかもしれません。一方で、酒飲みですし、花を買ってきては枯らしてしまったりして、そういうだらしない側面も描かれています。そこもいいなと思いました。監督はどうあの母親像を作られたのでしょうか。また、スビンさんはチャン・ヘジンさんと共演されて、印象に残っていることなどございますか。
ユン・ガウン ジュインの母親をどんな人物にするかと考えたとき、最も母親らしい存在はどういう母親なのかを考えました。私の母親や友だちの母親のことを長い時間、考えましたし、あとジュインと同じような経験をした人にもインタビューしたりしたんですけど、そのときにその人たちの母親についてもいろいろ訊いたんです。そういうところから得たいろいろな母親像を総合して作ったわけですけど、あの母親が隣にいたからこそジュインも存在できたのだと思います。恐らくジュインの母親もジュインが経験したことを通して人生で初めての経験をしたはず。あの母親は「ジュインにこんなことを経験させてしまった」という罪の意識を感じていたんだと思います。それを背負って一生を生きていかなければならないと。ジュインの母親のことを考えるとき、生存者となった家族はどんなふうに生きてきたのかと考えさせられます。その意味では、人間としてさまざまな面を持っていなければならないと思いますし、ご質問にあった洗車場のシーンでは娘の絶望も理解していたでしょうし、同時に家事をおろそかにするような人間でもあったのでしょう。そういう矛盾を抱えている母親の方が、むしろ平凡な母親であり、人間なのではないかと思います。
ソ・スビン チャン・ヘジン先輩とは監督のご配慮で撮影前にお目にかかることができました。一緒に映画を見に行ったり、食事をしたりして、本当の娘のように接してくださって、撮影現場ではホントに愉快な「ケソンお母さん」という感じでしたね。洗車場のシーンは大切なシーンでした。私も緊張していたのですが、予期せぬことが起きました。洗車場では実際のスタッフの方が出てくださっているのですが、私が気づかないと思って私の映像をこっそり撮っていたんです。つい集中力が途切れそうになったんですが、そうしたらチャン・ヘジン先輩は私の手を取って「しっかり目をつぶって、ゆっくり呼吸をして、自分の時間だと思って演じればいいのよ」とおっしゃってくださって私を助けてくれたんです。あのシーンはチャン・ヘジン先輩がいたからこそ撮影ができたシーンです。
小橋 洗車場のシーンは胸に迫るものがありました。素晴らしかったです。弟役のことも伺わせてください。私は監督の「わたしたち」(2015)も拝見していまして、あの映画にも可愛らしい弟が出ていましたね。監督の映画に出てくる弟はいつも小さなヒーローだなと感じています。今回も幼いながら妹を守ろうと彼なりに頑張っていますし、同時にハッとさせられる存在でもあります。彼が何より頑張っているのがマジック。後半のマジックショーでは「みんなの悩みを消します」と言って失敗してしまう。そこに消しても消せない過去の痛みが重なっているように感じました。
ユン・ガウン まず、私には弟がいます。最近まであまり気づかなかったんですけど、今回映画を作ってみて、あらためて子どもの頃を思い出し、弟の存在について考えるようになりました。振り返ってみると、私がつらい時間を過ごしているときには弟がそばにいてくれたんだなと気づきました。弟が見せてくれるいたずらなどは私の癒しになっていたんだなと。弟がいてくれたからこそ、私はここまで来ることができたと思っています。そんな思いが私の作品にも反映されているのでしょう。今回、マジックをする子どもという設定にしたのは、生まれて間もない頃から自分の家族がつらい目に遭っていたことを彼がなんとなくわかっていたと考えたからです。その苦しみや傷は人の努力ではなかなか解消できないことも彼は薄々感じていた。それならマジックを使おうと考え、そういう超現実的な能力に憧れていたのだと思います。もうひとつ理由を挙げるなら、家族の中では常に姉が関心を持たれている。自分にも関心を持ってほしいという思いがあったからなのではないかなと。マジックは華やかなショーを見せることもできますから。
ソ・スビン 家のシーンは撮影の前半にやりました。初めての現場でずっと緊張していたのですが、そんな中、弟役をやったイ・ジェヒくんが下着姿で現れ、家の中を飛び回ったんです。「どうして初めてなのにあんなふうにできるの?」って本当に驚きました。でも、そのおかげで私の緊張はほぐれたんです。ジェヒくんは俳優としては私の先輩ですし、撮影後にモニターを見てはたくさんのことを学ばせていただきました。撮影の合間にはふたりでテコンドーを見せ合っていたんですけど、現場のご近所にお住まいの方が本当の姉弟だと思われて、「いい姉弟ね」と声をかけてくださり、本の栞もくださいました。
小橋 スビンさんにはご兄弟はいらっしゃるんですか。
ソ・スビン 私自身には兄がいます。あと、ジェヒくんと同じような年齢のいとこがいますので、ジェヒくんのような少年には親近感があります。
小橋 家族の誰もが行けなかった弟のマジックショーのとき、スビンさんは撮影を見学されて泣かれたそうですね。
ソ・スビン シナリオでもあのマジックショーのシーンは胸が痛くなるような感じがありました。その撮影のときにはもう私の撮影分は終わっていて、自宅に戻ってもよかったんですけど、見たくなって遊びに行ったんです。そうしたら涙がとめどなくあふれ出てしまいました。もうワーワーと声を上げて。あのときの気持ちはどう表現したらいいか、わかりません。ジェヒくんは家族を探すような目をしていたんです。あの目を見たとき、本当に申し訳ないと思いました。
小橋 脚本に書かれていないところまで役の気持ちがあったんですね。
ソ・スビン 私にとっても初めての経験でした。これはなんだろう、と。私にもわかりませんでしたね。
小橋 私は以前、テレビドラマ(「愛の劇場 新・天までとどけ」)で5年間、大家族の長女の役をやっていたことがあります。高校3年から始まって、シーズン2で花嫁姿になったとき、母親役の方(松田美由紀)がカメラの回る前に私を見て号泣してしまったことがありました。娘が嫁に行くと感じられたのでしょうね。そのときのことを思い出しました。
ソ・スビン そのお話に感動しました。私も撮影で貴重な経験ができたということですね。
小橋 弟のことが恋しくなったりしますか。
ソ・スビン いつも会いたいと思っています。この映画の試写会が行われてジェヒくんが登場したとき、嬉しさのあまり、どうしていいのかわからなくなりました。思わず、体をなで回していました(笑)。
小橋 スホという役についてですが、彼は正義感に燃えて署名を集めるんですけど、知らないうちに被害者を追いつめてしまいます。ジュインが怒りにまかせて過去のことを口にするんですが、それをふざけて否定したことで周囲から誤解されてしまう。ジュインの母親は「彼は優しすぎる」と話していましたけど、あの場面について監督にお伺いしたいです。
ユン・ガウン ジュインが初めてスホと衝突したシーンですね。ジュインは自分の正当性を立証しようとして無意識にあの言葉が出てきてしまったのでしょう。言ってしまったあとで、周りの反応を見てジュインも驚いたのだと思います。それはジュインが考えていた反応ではありませんでした。「真実を話すことで友だちを怖がらせてしまった」と瞬間的に知り、なんとか明るく振る舞ってその場を収めようとしたのでしょう。
小橋 単なる被害者としての描写を徹底的に避けられていますよね。「人生を壊されてしまう」という言葉にジュインはすごく反応している。私は以前、東日本大震災のときの遺体安置所を舞台にした映画(「遺体 明日への十日間」)に出させていただいたことがありまして、津波で母親を失った娘を演じました。その母親に死化粧をするシーンでは「泣きながら化粧をする」と脚本に書かれていたんですが、監督が「もし演じていて涙が出なかったら絶対、ウソで泣くことはしないでほしい。本物の感情だけで演じてほしい。ウソで泣くことがいちばん被災者に失礼に当たるから」と言われました。そのときのことをこの映画で思い出しました。母親が亡くなっているのを見た娘は悲しいけれども、みんなが悲しい顔をしているのではない。もしかしたら、昔を思い出して笑顔を見せることもあるかもしれない。泣くだけじゃないんだと。本当に監督は典型的な描写を避けて、悲痛な体験をした方を繊細に描かれていますね。
ユン・ガウン ジュインは心の傷を抱えていますが、事件があったのは5年以上前のこと。なので、そこから少し離れて生きている。ただ、メディアも含めて、私たちの中には固定観念があって、悲劇的なことに見舞われた人はその傷自体が本人だと思ってしまうようなところがある気がします。いつも傷の中で生きていると。でも、実際には24時間ずっと傷のことを考えているわけではない。傷から遠ざかることで元の人生を取り戻す人もたくさんいる。それはジュインだけではないと思います。今の彼女はどんな姿なのか。それを考えて人物の設定をしました。
小橋 本日はありがとうございました。
「The World of Love」(英題)
監督:ユン・ガウン
2025/119分/韓国
配給:ビターズ・エンド
第26回東京フィルメックスにて上映