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石井輝男・超映画術 トークショー

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賀来タクト


伊藤俊也(映画監督) × 瀬戸恒雄(石井輝男プロダクション代表)

2020年12月5日、特集上映《没後15年 天才にして職人 石井輝男・超映画術》の開催を記念して、「女囚さそり」シリーズで知られる映画監督の伊藤俊也、石井輝男プロダクション代表の瀬戸恒雄の両氏が新文芸坐に来場、特別トークショーに出席した。

伊藤監督は東映に1960年入社し、在籍時代に「網走番外地」(1965)をはじめとする7本の石井作品に助監督として就いた人。

一方の瀬戸代表は1970年の東映入社。
伊藤監督の「さそり」第1作のプロデューサーであり、同時に「直撃!地獄拳」(1974)や「暴力戦士」(1979)に企画/プロデューサーとして参加するなど、伊藤監督共々、同朋として石井輝男の在りし日を目撃、体験してきた貴重な証言者である。

食い入るような客席からの注視に対し、まず伊藤監督は「(監督として一本立ちするまで)長い助監督生活を送りましたけれど、その中で印象深かったのはやっぱり石井輝男さん」と端緒を開く。

続けて「石井さんは新東宝から東映東京撮影所へお見えになったわけですが、最初に撮られた『花と嵐とギャング』(1961)など、僕のようなクソリアリズムの側から見たら、(撮影所に)新風が注ぎ込まれたなという感じがした」と往事を振り返った。

伊藤監督にとって最初の石井作品は、サードの助監督としてついた「霧と影」(1961)。

この作品では、海での撮影に尻込みする大部屋俳優の代役を買って出たエピソードを披露。

「映画に登場する最初の水死体は私。
故郷の家族に“あれだけはやめてくれ”と物議をもたらした」と当時を振り返り、会場をなごませる。

瀬戸代表は「石井監督は切り替えの早い人という印象」と思い出を始めた。
「現場の処理能力もそうですし、シナリオも僕の見ている前でスラスラと鉛筆を走らせる。

才能のある人だということは傍目から見てもわかった」。
これに「編集のセンスは抜群。カッティングが鮮やかだった」と伊藤監督も同意する。

伊藤監督は「網走番外地」ではセカンドの助監督だった。
「実は、会社からはあまり期待されていなかった作品。
でも、それが石井さんの負けじ魂に火をつけたし、高倉健さんをも奮い立たせた。

健さん、雪の中を裸になって撮影部の機材を運んでいましたね」と、またも興味深いエピソードを披露。

その撮影の地・網走には現在、石井監督のお墓もある。
瀬戸代表によれば「監督が亡くなる少し前に、お墓のことで網走の名前が出たことがある」とのこと。

没後の2006年にお墓ができると、「毎年7月の終わりに関係者で墓参りに行くようにしている。

こんな寒いところに埋められて可哀想という声もあるが、何かいい案があったらぜひ」(瀬戸)とユーモアいっぱいに解説を加える。

もっとも、伊藤監督によれば、石井監督とは「必ずしも仲睦まじい関係性というわけではなかった」とのこと。

やはりセカンドでついた「網走番外地 南国の対決」(1966)では本国復帰前の沖縄ロケで大げんかをし、船上から無線で「映画は監督ひとりでやっているんじゃねえ!」とぶちまけたとか。

「といいながら、瀬戸さんに連れられて墓参りに行っている。これだけ何度も墓参りに行っている助監督もいないんじゃないか(笑)」

石井輝男監督といえば、「徳川女系図」(1968)から「江戸川乱歩全集・恐怖奇形人間」(1969)に至る〈異常性愛路線〉が今も大人気。

ただ、製作当時は撮影所内で石井監督を否定する声も少なくなかったという。
「それを伝え聞いた朝日新聞がまた良識派を気取って記事を書いた。

〈異常性愛路線〉はエログロ路線だと。で、京都撮影所から助監督一同で反対声明も出た。
一種の排斥運動だった」(伊藤)。

しかし、この動きに異を唱えたのが、ほかならぬ伊藤監督である。
「助監督としてではなく、ひとりの伊藤俊也として、“作家を目指す集団ならば、作品の価値を認めずにマスコミの批判に便乗するようなレベルでものを言うな”というようなことを、個人的なビラにして書いた」

面白いのは、伊藤監督がそのビラを決して石井監督を喜ばせるつもりで書いたわけではなかったということ。

「でも、石井さんは応援メッセージと受け取ってくださったみたい。あとで石井さんが喜んでいたというのを聞いた」(伊藤)。

これまた、活力に満ちた撮影所時代の逸話である。

晩年、学生たちと一緒に「盲獣VS一寸法師」(2001)を作っていた石井監督などは、それは穏やかで優しい人物という思い出が募るのだが、この意見に瀬戸代表は「“こんなときにそんなことを言うのか”ということもあったけど、基本手には優しい人だった」と応じる。

その瀬戸代表について、伊藤監督は「網走映画祭の礎を作った功績たるや」と称賛してやまない。

さらに「石井さん共々、網走映画祭というものが極北の地で続いているということを頭に入れておいていただければと思う」と加えて、トークショーを結んだ。

石井輝男が世を去って15年。その映画魂は仲間たちの尽力によって今も脈々と受け継がれている。それこそ「超映画術」と呼ぶにふさわしい。

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