作家は、世界を創造する。
たとえばポン・ジュノなら、世界の表情を提出するだろう。その結果、新しいエモーションが生まれ出ずる。あるいはアピチャッポン・ウィーラセタクンなら、世界の感触を編み上げる。タペストリーにおいて重要なのは、未知なるテクスチャに他ならない。
では、ビー・ガンは?
彼は世界を徘徊する。世界をマーキングする。エモーションやテクスチャにはあっさり背を向け、うろつき回ることで、独自の地図を創成していく。
第1作「凱里ブルース」はまだ、基本的に平面の徘徊だった。だが第2作「ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ」では、その徘徊に上下運動が加わった。アクションが立体的になり、全方位的にマーキングする対象が宇宙となった感がある。無邪気であり、無茶である。無知とも言えるが、無垢でもある。
邦題通り、夜の旅。あるいは、旅の夜。ひとりの女の面影を追いかけて、ひとりの男が地獄めぐりのような道行きを見せていく。
その徘徊には閉じた印象がなく、図々しいほどの越境がある。夢の領域にも踏み込むが、片足は現実の沼に突っ込んだままでもある。どっちも欲しい。つまり貪欲なのだ。境界線上に立つ。曖昧なままでいたいのではない。同時に手に入れたいのだ。同時に手に入れられると思っている。
そうでなければ、一時間の長回し、しかも3Dなんてことを目論んだり、実現しようとしたり、しないだろう。夢と現実を切り裂いたりしない。融合させたりもしない。両腕に抱えて進んでいく。どっちも必要だから。どっちも共に在ってほしいのだ、たぶん。この、呆れるほど無鉄砲で、潔いまでに無粋なストリームは、わたしたちの魂を活性化する。描かれていることはセンチメンタルなはずだが、最終盤では思わず微笑んでしまうだろう。
だが、これは冗談ではない。ビー・ガンはどこまでも本気だ。
急いで歩け。
ゆっくり走れ。
夢の中を現実が確かな足どりで進んでいく。振り返ったりはしない。進んでいけばどこかにたどり着く。それでいい。それがいい。おそれを知らない無意識過剰なこの作家はいま、たったひとりで世界をプレゼンテーションしている。
それでも、世界は美しい、と。
Written by : 相田冬二
「ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ」
監督:ビー・ガン
出演:タン・ウェイ/ホアン・ジェ/シルヴィア・チャン
©️2018 Dangmai Films Co., LTD, Zhejiang Huace Film & TV Co., LTD -
Wild Bunch / ReallyLikeFilms
2月28日(金)よりヒューマントラストシネマ渋谷、新宿ピカデリーほか全国縦断ロードショー
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