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PEOPLE / レオン・レ
ラストに舞い降りる、悲しみの昇華

Photo by : MEGUMI

ベトナム映画「ソン・ランの響き」は、オリジナルな清涼感にあふれた一篇である。このさわやかさは、ドラマティックな結末を迎えてもいささかも翳ることなく、依然みずみずしくそこにある。

「悲しい終わり方かもしれませんが、美しいエンディングなのではないかと自分では思っています。主人公は人生という『劇』をまっとうし、いままた別の『入口』に立っている。そのことは必ずしも悲観すべきことではないと思うからです」

人物の生に対する肯定の意志をこめて、監督レオン・レは軽やかに語る。ホーチミン出身、ニューヨーク在住。洗練された物腰は、俳優、ダンサー、歌い手として出発し、映画の世界に降り立ち、本作で長篇デビューした後は、フォトグラファーとしても活躍しているフレキシブルな才能ゆえか。1977年生まれというが、そのルックスはまだ青年のままだ。
 自身の幼年期、1980年代を舞台にしているが、郷愁とは無縁の映像筆致。暴力的なアクション描写もあるが、東京でモダン・ベトナミーズに舌鼓を打つようなカジュアルな気品が漂う。複数のジャンル映画を交通させてはいるものの、シネフィル的な耽溺をあっさり超越して、現代の映画としての当たり前の躍動を画面に息づかせる。

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借金取りの青年ユンと、ベトナムの伝統芸能カイルオンの若手スター、リン・フン。ふたりの男(原題『ソン・ラン』は、民族楽器の名前であると同時に「ふたりの男」という意味もある)の出逢いと別れを描く。キャラクターは対照的ながら、両者には共通点がある。それは、演じるという行為。リン・フンは言うまでもないが、ユンは借金を回収するためにあえて強面に振る舞っている。自分の中に、いまもくすぶり続けている少年性を制圧するかのように相手を威嚇するのだ。一方、リン・フンは想い出の悲しみさえ表現の糧にする術が身についている。方向性も覚悟もまるで違うが、「演じなければいけない」という一点において、彼らは交錯する。ここに、レオン・レならではのロマンティシズムが存在する。

「ふたりとも『自分』という役を演じているんですよ。人生は劇のようなものだと私は考えています。カイルオンは時代遅れで大げさな芸術表現だと思われがちですが、そんなことはありません。私たちの人生もまたカイルオンのようなもの。カイルオンでは悲しいことがたくさん描かれますが、人生というものもまた悲しみに満ちている。ときどきびっくりするようなニュースを耳にしますが、悲しい出来事は常に私たちの身のまわりで起きているではないですか」

悲しみの取り扱い。「ソン・ランの響き」はそこに繊細な気配りを見せる。根底にあるのは、レオン・レの「人生は劇」というまなざしであろう。

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