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イム・オジョン
「地獄でも大丈夫」

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佐藤結


憂鬱の中にもウィットがあることを願い、
深い闇の中でもきらめく刹那の光を
発見してほしいと思いました

1982年生まれのイム・オジョン監督が初めて手がけた長編映画「地獄でも大丈夫」。友人たちからの暴力に悩み、修学旅行の代わりに自殺を選ぼうとしたふたりの女子高校生たちが、自分たちを絶望へと追い込んだ首謀者への復讐を決意し、地方の街からソウルへと向かう。 近年、韓国のインディペンデント作品に多く見られるような社会的テーマを扱いながらも、ユニークなキャラクターとストーリー展開で、見るものを予想もしなかった場所へと連れていくこの作品について、メールインタビューを行った。

――高校生の校内暴力というテーマは、これまでも多くの映画やドラマで取り上げられてきました。この映画はそこから出発しながらも、いじめの“被害者”と“加害者”だった3人の関係が刻々と変化してくという点がとてもおもしろかったです。どんなところから作品作りが始まったのでしょうか。

まず、人生を放棄してしまいたいと感じるほどの孤立と絶望を感じている存在を思い浮かべました。危なっかしくて弱々しく見える彼女たちが、地獄のような人生にあっても、死と正面から向き合い、もう一度生きてみようと思える勇気を持つ可能性について語ってみたいと思いました。

(制作当時は)個人的にも終わりが見えないような暗い時期でしたし、身近な知人たちや同時代を生きる人々の多くが、不安や寂しさ、無気力を含む憂鬱と絶望を深く経験していると感じました。

そのような人々、すなわちアウトサイダー、あるいは、ひとりぼっちというアイデンティティを持つ人々を肯定したかったのです。“寂しさ”という感情を、同時代の象徴として私なりの解釈で掘り下げてみようと思いました。

――人生に絶望した高校生のナミとソヌは自分たちを追い詰めた張本人であるチェリンと、ある宗教団体の施設で再会します。チェリンは過去の行いを深く反省していると彼女たちに告げ、ひょんなことからナミとソヌもそこでの共同生活にしばらく合流することになります。内容はかなりシリアスですが、音楽やセリフのやりとりからはユーモアも感じられますね。

孤立というものが人間関係に由来するものだとしても、その底には社会システムの不均衡な論理が影響していると考えました。それを最も凝縮して見せることができる小規模な集団として、学校や宗教集団には共通点があると思いました。こうした設定を決め、主要キャラクターを作り上げてから、虚構性を強調した寓話であり、現実に対する風刺としてストーリーを進めていきました。「地獄でも大丈夫」では、ストーリーだけでなく、ビジュアル、サウンド、音楽などすべての映画的要素を使って“人生という巨大なアイロニー”を表現しようとしました。憂鬱の中にもウィットがあることを願い、深い闇の中でもきらめく刹那の光を発見してほしいと思いました。そのため、神聖に見えるものと俗な感じがするものを混ぜ合わせるようにしました。

――映画の中にスマートフォンは出てきますが、特定の時代は想定せずに物語を作ったそうですね。その意図は?

人生という苦痛に耐え続ける私たちへ賛歌を送りたかったのです。「なぜ生きなければならないのか?」という問いへの答えは見つけられませんが、それでも「一緒に」ということを感じられれば、死ぬことを明日に延ばすことができるのではないかという気持ちでした。そのことを同時代に限った話としてではなく、もっと広く普遍的に受け取ってほしかった。過去から続く話であると同時に、これからも変わらず続いていく話として。そのため、象徴的で寓話に近いものにしたいと思いました。校内暴力や異端の宗教など、同時代の出来事を風刺するような要素が入っていますが、それさえも長く続いている話ですから。

――「殺したいほど憎いと思っていた相手が、絶対的な存在によって既に許されている」という設定が、イ・チャンドン監督の「シークレット·サンシャイン」(07)と重なりました。 また、女性たちが協力して苦境に立ち向かっていくという点では、「子猫をお願い」(01)や「ミスにんじん」(08)を思い浮かべました。こうした作品を意識していましたか?

確かに「シークレット·サンシャイン」の設定と似ている点がありますが、あちらは比較にならないほど素晴らしい映画であると同時に、非常に違うタイプの映画です。「自分の人生を奈落の底に落とした、許すことのできない存在が、私の恨みが届かないような場所で平穏を得ている」という、この映画の主要なモチーフは個人的経験から出たものであり、私たちが人生の中で一度は経験するような普遍的な経験でもあると思います。落ちるところまで落ちたところで感じる絶望と一握りの希望に関する話という共通点がありますが、宗教団体の中で崇める対象と信仰が、ストーリーをまったく別の流れへと導きます。学校と宗教団体という集団の中で、“ひとりぼっち”でいることについて語るということが私にとってより重要なことでした。

「子猫をお願い」は、初めて見た幼い頃から現在まで、あまりにも多くの影響を私に及ぼした作品です。主に女性たちの友情を扱う私のすべて映画が、「子猫をお願い」のおかげでできたと言えるかもしれません。「ミスにんじん」も大好きです。私はどんな映画の主人公も、問題のある人物であるべきだと考えていますが、この映画の主人公は、その完璧な肖像に近いと思います。

――韓国だけでなく、日本や他の国でも女性たちが主人公の物語がまだまだ少ないと思います。イム・オジョン監督はこれからどんな映画を作っていきたいとお考えですか。

女性の物語にずっと関心を持っており、映画を作るときに“○○な女がいる”という文章から考えはじめたりもします。もちろん男性を主人公にした映画にも挑戦してみたいです。 本質的には性別に関係なく、今後も危なっかしくて欠陥の多い、問題があるような人物を取り上げていきたいです。女性の物語が足りないのも事実ですが、そういった現実に負けず、地道に作られてもいます。爆発的に増加するだろうと期待はできませんが、着実に作られ続けているという点で安堵しています。ただ、商業映画などのメインストリームでは女性中心のストーリーが歓迎されないような点はとても残念ですし、困難も感じています。

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「地獄でも大丈夫」


「地獄でも大丈夫」

監督・脚本:イム・オジョン
出演:オ・ウリ/パン・ヒョリン
2022年/109分/韓国
英題:Hail to Hell
配給:スモモ
©2022 KOREAN FILM COUNCIL. ALL RIGHTS RESERVED

11月23日(土)より渋谷 ユーロスペースほか全国順次公開


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