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佐藤結
すべての映画的要素を使って
“人生という巨大なアイロニー”を表現
コロナ禍以降、どの国にも増して苦境が続いているように見える韓国映画。韓国映画振興委員会など、公的機関の支援を受けることが多いインディペンデント映画も例外ではなく、限られた予算の中で手堅く作ることを優先し、誠実だが小ぢんまりまとまった作品が目立つ。
そんな中で「地獄でも大丈夫」は、これまでも多くの映画やドラマで扱われてきた高校生の校内暴力という題材から出発し意外な方向へと進んでいくストーリーとリアルで瑞々しいキャラクターたちの魅力の中に、「自分だけにしか作れないエンターテインメントを作る」というイム・オジョン監督の強い意志が感じられた。
同級生たちからのいじめに耐えかね、修学旅行期間中に自殺してしまおうと決意した高校生ナミとソヌ。
いよいよ実行というときになり、いじめグループのリーダーだったチェリンがソウルで幸せな毎日を送っていると知ったふたりは、彼女に復讐するため、地元の街から長距離バスに乗る。
SNSを頼りにチェリンの姿を見つけたのは、ある宗教団体の施設。
そこでチェリンは年下の子どもたちを献身的に世話しており、久しぶりに会ったふたりにも天使のような微笑みを見せる。
口では立派なことを言いながらも、いざとなると臆病になるナミと口数が少なく、ナミの行動に振り回されているように見えながら芯は強いソヌという2人組が、ひょんなことから天敵チェリンが所属する宗教団体の施設で数日を共にすることになる。
そこで会ったチェリンは別人のようで、2人に心から謝罪したいと訴える。
学校の中ではヒエラルキーの頂点にいた彼女が、大人たちからの評価ばかりを気にしている姿を見たナミとソヌは、彼女が自分たち以上に過酷な状況にあると気付いていく。
韓国映画ではこれまでも、社会的な出来事をエンターテインメントに昇華しようとする試みがいくつも行われてきた。
例えばチョン・ジュリ監督の「あしたの少女」(23)は、実習生という名で職場に送り込まれた高校生が悲劇的な結末へと追い込まれていく様子をミステリー仕立てで見せた。
そうした作品と比べて「地獄でも大丈夫」がユニークなのは、ソヌの口癖である「oki oki」をはじめとする、どこかとぼけたセリフのやりとりや音楽によって、ユーモラスでポップな雰囲気が全編にわたって感じられること。
「すべての映画的要素を使って『人生という巨大なアイロニー』を表現しようとした」というイム・オジョン監督独自の映画話法が、新鮮な印象を与える。
彼女たちが手にした唯一の“武器”がカッターナイフであることも象徴的だ。
カッターナイフは相手を傷つける武器であると同時に、若者たちが自分自身の痛みによって生きていることを確認する道具でもある。
昨年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映されたドキュメンタリー「私はトンボ」(22)でも、大学受験のプレッシャーに押しつぶされそうになる自分と友人たちにカメラを向けたホン・ダイェ監督が、カッターで傷つけた自分自身の腕を写していた。
「地獄でも大丈夫」では、ソヌが母への反抗心と共に持ち出したカッターナイフの意味が、後半に進むにしたがって少しずつ変わっていくのが興味深い。
「地獄万歳」という原題を持つこの映画は、2010年代に入って韓国の20〜30代が自嘲的に使うようになった「ヘル チョソン(地獄の朝鮮)」という言葉を思い出させる。
しかし、この映画のナミとソヌは、死を猶予して向かった短い旅の途中で自分自身とお互いを発見し、たとえこの世が地獄であったとしても、そこに踏みとどまろうとする。
「oki oki」という呪文をとなえながら、とにかく今日を生き延びるのだ。
監督・脚本:イム・オジョン
出演:オ・ウリ/パン・ヒョリン
2022年/109分/韓国
英題:Hail to Hell
配給:スモモ
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11月23日(土)より渋谷 ユーロスペースほか全国順次公開