小林 今の話で腑に落ちたのは、倉本聰と山田太一という軸があって、取材してみたらホアンの手法は登場人物のプロファイルをつくる倉本的な手法でした。一方で、都市を描くという意味では山田的なんですが、山田は階層を描いてしまうんですよね。一流大学に行けない大学生とかイケてないOLとか。その反対側にアッパーな世界がある。山田太一は大好きですけど、山田太一と似て非なることをホアンはやっている。「想い出づくり」のメンバーにリマ・ジタンは入れない、入らない。もうちょっと弱い人が連帯して戦うところを、強い人が実は弱いけれど連帯しないみたいなことをやっている。
相田 いまの時代は悲劇をアイデンティティにする傾向が強いと思います。そういう日本映画も多い。それは、キャラクターを規定することに繋がってしまう。ホアンはそこから抜け出ていますよね。あの人(リマ・ジタン)がもっている、めちゃめちゃ社交的なわけではないけれどある程度できて、そして、健康的であるという美が印象に残る。
小林 日本だったら、もっとかぼそくてメンヘラな感じの娘(こ)を使いますよね。
相田 人間的な共感のほうが大切だし、それがありますよね。過去とか状況というのはトッピングに過ぎない。その人自身には多少の影響はあるけれど、その人に我々が対した時にはさしたる情報ではない。
小林 孤独の在り方が変わってきているというか。最近、アイドルが“友達はひとりもいない”というのが流行っているように見える。それに酔っているというか、孤独ごっこですよね。一方でSNSとかでは人と繋がりまくっているわけで。そうした状況に対するひとつの在り方。この映画が描いているのは、結果、群れない、ということだと思います。
相田 誰も群れていない。3人で逢った。2人で逢ったとしても、群れようとしない。人としての孤独というのは、ひとりひとりが抱え持つことしかできないもの、それは群れて解消されるとか、共有して解消されるものではない。そんなことで解消されるならそれは孤独でも何でもない。さびしんぼうごっこなわけで。
小林 孤独を抱えている。その美しさがあります。
相田 この人たちは、身の上話はするけれど、孤独を癒しあおうとか、孤独を乗り越えようとか、孤独を共有しようとかしてないいし、一度たりともそんなことを想ったことはない人たち。本質を突き詰めない、ということですかね。
小林 人と人が付き合うということはべったりと付き合うことではない。台詞にもありましたが、距離が必要、ということ。そういう時代に向かいだした。村上春樹はディスコミュニケーションだけれど、コミュニケーションしたい人の話。それは森田芳光ですら僕の中ではそうですし、吉本ばななもそうだったと思う。ホアンの時代になると、それは前提ではない。セブンイレブンで相手の話をきいて、共鳴したように撮ってないのがすげえな、と思った。物語を共有することで感応する、とか、傷口をなめあう、ことはしない。
相田 コミュニケーションはしても、しなくてもどっちでもいい。二者択一ではない。どっちがいいとか悪いではない。そういう時代がやってきた。それを映画にしたホアン・シー「台北暮色」は圧倒的に新しいし、凄いんじゃないかと思います。
アップリンク・クラウドにて2020年9月30日まで期間限定配信
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