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「慶州(キョンジュ)ヒョンとユニ」
死者は、夢を見るのか?
相田冬二 × 小林淳一

映画に関するノベライズ、執筆を手掛ける相田冬二にA PEOPLE(エーピープル)編集長・小林淳一が聞く対談連載。今回はチャン・リュル監督作品「慶州(キョンジュ)ヒョンとユニ」。相田が出演する同作品に関するトークライブが6月22日(土)に行われる。


小林淳一(以下小林) 解釈することに意味があるかどうかはともかくとして、さまざまな解釈が生まれる映画ではあります。公開までもうすぐですが、見ていただいた方々からさまざまな解釈をいただきました。相田さんは、どのような映画として見られましたか。

相田冬二(以下相田) タイトル(原題)が、場所ですよね(原題は「慶州(キョンジュ)」)。この映画の主人公はヒョンではなく、慶州なのではないかと。この映画を見ていろいろな解釈が生まれるのはわかります。あの人は死んでいるんじゃないか、とか、すべてはヒョンの見た幻想、あるいは、ヒョンが見た夢じゃないか、とか。そのように見える映画的な設計はしていると思います。ただ、僕が思うには、この映画は、ヒョンが見た夢ではなく、場所が見た夢なのではないか。慶州が見た夢なのではないかと。

小林  それは、慶州という場所そのものが生きている、ということですか。

相田  場所を擬人化しているのではなくて、場所そのものが夢を見ていて、その夢がスクリーンに映っている。もっと言えば、古墳の下に眠っている人が死にながら見ている夢。生きている人が見ている夢ではなくて、死んだ人が見ている夢。

小林  これから死ぬであろう人も出てくる。

相田  あの母親と娘ですね。すれ違って、娘と目が合って、たばこについてのやりとりをするくだりがある。しかし、ヒョンはそもそもたばこをもっているだけで吸うことはできない。吸えないので、匂いだけをかぐ。吸えないという感情によって、たばこというものがヒョンを感傷的にさせるようなところがある。それは、見ている人も一緒ですね。そこに象徴される、感傷的でセンチメンタルな感覚と、死んだ人が見ている夢が融合されて、不思議な時間が生まれている。

小林  確かに不思議な時間、空間ですよね。占い屋のところが重要だと思っていて、あそこで明らかに時間のずれが生じている。この映画は勝手に解釈を楽しむ映画だと思っているので、僕の説をいえば、多次元宇宙の話だと思うんです。多次元は現代の量子論では、当たり前になりつつある考え方です。この考え方を映画のバックボーンに入れたのがクリストファー・ノーランの「インターステラー」でした。チャン監督は物理学など知らないかもしれないけれど、同じようなことをやっている。それぞれの次元が影響しあっている、干渉しあっているように見える。とてもモダンな映画なんです、自分にとっては。

相田  映画の中で夢や死が描かれる時って、ファンタジーになってしまう。死の匂いとか、夢の感触みたいなものが波及していって映画をくるんでしまう。「慶州」はそうなりそうでならない。それは何かというと、占い屋みたいなものがすごくリアルなものとして挿入されているからなんです。ファンタジーだったら、あそこがもっと抽象的な空間になって、小林さんが言うように、次元が無数にあって、どこかに行っちゃうんだよとルール化される。

小林  そうなんです。SF的に見てしまうとルールがない。だから、困る(笑)。

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