菊地成孔、韓国の映画監督、チャン・ゴンジェが語ってきたシリーズ企画「それぞれのホン・サンス」。今回は、映画監督の青山真治が最新4作と過去の作品を合わせて語る。最新作「それから」でいったい何が起こったのかーー。これは、青山真治監督だけが語ることができる、映画監督ホン・サンス論。
「正しい日 間違えた日」
ホン・サンスは「それから」で新基軸を打ち出した気がします。映画監督を描かなくなった。たとえば「正しい日 間違えた日」では映画監督が全裸になったりしていますが(笑)、「それから」では映画監督という特殊な立場を取り外して、小さな出版社社長というごく普通の存在を主人公にしている。社会的な地位があるようで、たぶんない。そこからドラマを作っている。観る人によっては「逃げたな」ということにもなるかもしれませんが、僕には新しいところに出たように見えます。
女性がより一層強くなった。これまでも女性が強い映画を作り続けてきているとは思いますが、さらに強くなった。「クレアのカメラ」からなのか、完全に女性上位になりましたね。これまでとちょっと違う、独立した「女の強さ」みたいなものにスイッチングした気がします。「それから」は、構成力の強さも変わった。これまでよりも強いものを打ち出そうとしているように感じられる。
「クレアのカメラ」
長編第1作「豚が井戸に落ちた日」は観ていましたが、わりとオーソドックスだった記憶しかありません。その印象が変わったのが「浜辺の女」。それまではプロダクションの力の中にある映画だったと思う。あり方としては、実は他の(監督の)映画と変わらない。それが突然「浜辺の女」で作風が変わった。シノプシスで映画を作ってみようという意志がすごく感じられた。風通しの良さ、というのか。ドラマの中に突如ハプニングのような展開を導入する。それがホン・サンス監督の魅力であり個性だったと思います。
「それから」の終盤はもはやドミノ倒しのよう。唖然とするようなことが起きている。シチュエーションの反復は、これまでの映画と同じ。しかし、主人公が、過去を忘れている。これを構成として成立させているのは非常にクレバーだと思います。反復が、忘却を導く。やられた! と思いました。またこの手法か、と思わせておいて、違う。それがどんどん氷解していくというのは落語のような世界。上手い! ですよ。この手が二度使えるかどうかはわからないし、このやり方はこれっきりなのかもしれないけど、実に見事にどんでん返ししてくれたなと。
ホン・サンスと言えばヘンなズームですよね。ただ「それから」の冒頭のズームには確たる技術を感じる。あれは不思議でした。これだけのフォルマリストに対して、他の監督との類似を言いたくはいのですが、この人は本気でルキノ・ヴィスコンティが好きなのかもしれない。ヴィスコンティの場合はパスクァリーノ・デ・サンティス(「地獄に堕ちた勇者ども」「ベニスに死す」「家族の肖像」「イノセント」を手がけた撮影監督)が上手いのであまりそうは感じさせませんが、ここのズームに僕は“貧しき者の力”みたいなものを感じる。たとえばクエンティン・タランティーノがへっぽこズームをやるのはあくまでも香港映画のパロディだけど、ホン・サンスのズームはそうじゃない。時間をかければカットを割って構成できるんだけど、あえてやらない。時間も金もないから、あえてやらない。ズームで寄ればいい、という確信には“貧しき者の力”を感じずにはいられない。「それから」の冒頭は、本気のズームとはこういうものだという証明だったように思います。
「夜の浜辺でひとり」
たとえば「夜の浜辺でひとり」の作劇の独特さ。ヒロインがブチ切れていたのに突然笑いはじめて、酒席の場の雰囲気が変わったかのように見せる。その程度のことなんだよね、という軽さを常にこの人の映画は持っている。普通に小宴会をやって、それをワンカットで撮りながら、徐々にズームしていって、ヒロインに集中させる。あの演出は一見リアルだけど、それまで使っていたヘンなズームの積み重ねの末の最終局面があれだったのではないか。それがホン・サンスのキャメラワークのあり方かもしれない。あそこにいかせるために、“慣れさせる”ために、ヘンなズームを積み重ねていたという考え方もありえる。気がつくと、対象に寄っていることが効く。それは策略として、たとえば、それまでにズームが一切なくて、あそこだけズームがあるとたぶん違和感を覚えると思う。
「夜の浜辺でひとり」は、実は「アバンチールはパリで」に近しい作品だと思うんですよ。「夜の浜辺」はハンブルグから韓国に帰る話だったけど、これもパリから韓国に帰る話で、最後に強烈な暗喩が用意されている。「夜の浜辺」には謎の男が登場する。ヒロインの中にある悪い妄想をストレートにかたちにして画面に出すような。つまり「夜の浜辺」も以前のアイデアから継続して映画を作っているわけです。「クレアのカメラ」もギリギリのところでの継続があり、変化の過程にある。でも「それから」はそこからポッと抜けている。違う局面が現れた。ホン・サンスの映画におけるこれまでの反復は、済んだことの反省文を書いていくような、つまり告解や懺悔をしていくようなところがあった。ところが「それから」では、その反復を超えてドラマが展開する。忘れていたという設定が思い出していくというドラマをひっくり返している。しかも、キム・ミニはそれを聴くだけという立場に立っている。これは女性の描き方として新基軸だと思うんですね。思わず惹き込まれるものがあります。
三脚にカメラを載せて撮ればそれでいい。ときにズームもするけど、映画はそれでいいという態度で押し通す様は本当に心から信頼できます。演出家として個性的であり、形式主義者として際立っている。あえてヴィスコンティと言いましたが、先人を引合いに出すのではなく、ひとりの作家としてフィルモグラフィを追うべき人です。ペドロ・コスタの映画を観るように、レオス・カラックスの映画を観るように、ホン・サンスの映画を観る。観客として、そのような態度をとりたくなる稀有な存在だと思います。
「それから」
Written by:相田冬二
「それから」
監督・脚本:ホン・サンス
出演:クォン・ヘヒョ/キム・ミニ/キム・セビョク
ヒューマントラストシネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷にて公開中、以降、全国順次ロードショー
「夜の浜辺でひとり」
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