主人公が強面の借金とり、と聞けば韓国映画「息もできない」を思い起こすひともいるかもしれない。設定、描写、展開はたしかにリンクするところも多い。そうした共通点を抜きにしても「息もできない」が好きなひとはきっと好きになるだろうなと思わせるものがベトナム映画「ソン・ランの響き」にはある。
観るひとの、それまでの映画体験によって、去来するものはさまざまだろう。わたしは、なぜかパラジャーノフやニコラス・レイのことが頭をよぎったが、アベル・フェラーラ的であると思う。もっとわかりやすく言えば、初期スコセッシでもある。
幼いころ、ソン・ランというベトナムの伝統的楽器に親しんでいながら、両親の事情から、その過去を封印し、アウトサイドを歩いている青年。彼は、大衆演劇カイルオンの劇団の取り立てに出向いた際、主演スターと出逢い、音楽や芸術への想いを徐々に復活させていく。
主人公と同世代のスター俳優もまた、ある欠落を抱えており、成り行きから束の間、共同生活することにもなる。だから、この映画はピュアな友情ものとしても捉えることができる。その点は、とてもエバーグリーンだ。
だが、本作の旨味は、スパイスをひそませるセンスこそが保証している。
暴力と祈り。
この借金とりの行為は、そこまで過激なものではないが、だが、借金に追われる者たちには不幸が起きる。そして、それは主人公のせいではないが、暴力を振るった者として、彼は責任を感じる。シーンとシーンの狭間に、実際に祈ったり、虚空を見つめたり、とにかく孤独な懺悔の様が、ひっそり挿入される。
たとえば、狭い路地が、あたかも心象であるかのように、何度か登場する。それは、ベトナムを知らずとも、なぜか、懐かしく、そして、せつない。
郷愁ではない。身に覚えがあるからだ。
わたしたちは、善悪とはなるべく無関係に生きているようでいて、なんらかの暴力と、なんらかの祈りのあいだで、常に揺れ動いている。衝動と後悔と言い換えてもいいが、それは人間なら誰しも体験したことがある感覚だ。
舞台は1980年代。主人公と俳優が共に遊ぶ、いまとなっては古めかしいコンピュータゲームと、伝統的な楽器/歌劇の共存も、肌に心地よく、魚醤を思わせる深く優しい味わいが、最後まで続く。
Written by : 相田冬二
「ソン・ランの響き」
監督:レオン・レ
出演:リエン・ビン・ファット/アイザック/スアン・ヒエップ
2018年 ベトナム
©️2019 STUDIO68
2月22日(土)より新宿K's cinemaほか全国ロードショー
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PEOPLE / レオン・レ