「この映画が中国で公開されたとき、若い観客は私にこう訊いてきました。『どうして、チャオチャオはピストルを撃つことが法律違反だとわかっているのに、撃ったのですか? そして、そのピストルは自分のものだと言って、長い年月、監獄の中にいたのですか? それが理解できない」と。多くの若者たちからの問いでした。なぜか? 彼女は昔気質の人間だからです。自分が犠牲になってでも、愛する人を助ける。そのような考え方からの行為でしたが、いまの若い人たちには、通用しない……」
チャオチャオは愛するビンが窮地に陥ったとき天に向かって発砲し、救出する。そして罪をかぶって捕まる。だが、その情が、現代の若者には伝わらないという現実。このことこそ、激動の中国史をヴィヴィッドに体現している。
ジャ・ジャンクーの映画術の深化を感じさせる小道具にペットボトルがある。飲みかけのペットボトルがヒロインにとって、あるときは武器になるし、誰かと手をつなぐツールともなる。
「実はペットボトルの使い方は、私とチャオ・タオとの化学反応からできたもの。彼女は『長江哀歌』の衣装をそのまま着ています。そして小道具として同じようにペットボトルを持たせた。今回は武器としてそれを使うこともある。私が特に驚いたのは、大きなビルの自動扉が閉まらないように、ペットボトルを挟む場面。あれはチャオ・タオが即興で生み出したもの。ものすごくいい演技だと思いました。よくあれが出来たなと。とてもいい効果をペットボトルは生みましたね。すべて、彼女の想像力です」
映画は、変わるものと、変わらないものを、見つめている。「変われない者の悲劇もある」と監督は言う。人は、生き抜くためには変わったほうがいいのだろうか。
「そうとは言えないかもしれない。『山河ノスタルジア』では、飛行機で行かずに、あえて汽車でゆっくり移動する母子の姿を描きました。あのとき、『ゆっくりがいいわね』と母は息子に言うわけです」
「帰れない二人」にも、「俺はあえて鈍行に乗っている」と語る男が登場する。
「変わらないまま、元のゆっくりのリズムのまま生きていくこともできるわけです。ただ、現代社会ではスピードが要求される。変わるものと、変わらないもののあいだで、たえず徘徊しているのだと思います。自分の価値観を信じ切っているひと。そういう人はなかなか変われない」
身につまされる言葉だ。
ジャ・ジャンクーは変化をおそれずにキャリアを重ねてきた。彼が描く映画内世界は拡張してきた。だが、そこには彼ならではのものも一貫して流れている。
「確かに変わってきた。年齢と共に人物の背後にある時間というものをきちんと捉えたいと思うようになりました。人間社会のシステムの中で、その人物がどのように動いているのか。その人たちの行動を決定づけるのは、歴史的にどういう意味があって、どういうことなのか。それを見極めたいという想いがどんどん生まれてきました。ただ、変わらないのは映画監督として、たえず、中国の普通の人々に向ける目。彼らがいまいる現代を映画に映す。それは変わらない。これからも見つめていきたい」
Written by:相田冬二
<作品情報>
「帰れない二人」
監督・脚本:ジャ・ジャンクー
撮影:エリック・ゴーティエ 音楽:リン・チャン
出演:チャオ・タオ、リャオ・ファン
9月6日(金)より、Bunkamuraル・シネマ、新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー
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