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「カンウォンドのチカラ」

A PEOPLE CINEMA

ストレンジャー × ホン・サンス
「オー!スジョン」「カンウォンドのチカラ」

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成川彩


ホン・サンスの
自由自在な時空間

菊川にあるストレンジャーにて6月20日より「小説家の映画」公開を記念して「ホン・サンス特集」が行われる。その中から「オー!スジョン」「カンウォンドのチカラ」のレビューをお送りする。

ホン・サンス監督作には、韓国らしい空間がよく出てくる。ソウルでも、洗練された江南(カンナム)が登場することはまずなくて、漢江(ハンガン)の北側、昔ながらの街並みが残る慶福宮(キョボックン)かいわいがよく登場する。「オー!スジョン」(2000)がまさにそうだ。あるいは、地方。

「カンウォンドのチカラ」(1998)はタイトルにも江原道(カンウォンド)が入っているぐらいで、メイン舞台は江原道だ。江原道といえば海もあり山もあり、韓国の原風景が「カンウォンドのチカラ」にたくさん出てくる。

ホン・サンス監督の韓国でのイメージは「海外で高く評価される監督」だ。

1996年、「豚が井戸に落ちた日」でデビューして以来、ほぼ毎年のように作品を発表し、カンヌやベルリンなど海外の映画祭で多数受賞している。ホン・サンス監督作を「ヨーロッパの映画みたい」と言う人も多く、確かにそれはそうなのだが、私は実は、ホン・サンス監督作によく出てくる韓国らしい空間もまた、海外で人気の理由ではないかと思っている。

例えば、「オー!スジョン」に出てくる、壁が落書きだらけのマッコリの店。

私も何度か行ったことがあるが、いかにも路地裏の店という感じで、味わい深かった。
が、残念ながら数年前に閉店してしまった。

看板がなく、スジョン(イ・ウンジュ)のセリフにあるように「コカルビの店」と呼ばれていた。

コカルビは辞書によればサバだが、この店でコカルビを頼むと出てくるのはホッケだ。

スジョンが「これがサバ?」と聞き、ヨンス(ムン・ソングン)が「サバじゃない。ホッケだ、ホッケ」と答えるが、私もこの店を訪れた時にまったく同じ会話を交わした覚えがある。

この「コカルビの店」はソウルの「ピマッコル」と呼ばれる通りにあった。

ピマッコルは直訳すれば「避馬通り」で、朝鮮時代、鍾路(チョンノ)の大通りを高官たちが馬に乗って通るたびに庶民はお辞儀をしなければならず、それを避けるための一本奥まった路地だったそうだ。

安くておいしい店が並んでいたが、近年の再開発によって多くの店が閉店したり、移転したりした。

ところで、このコカルビの店は、「オー!スジョン」の中で2度登場する。コカルビの店だけではない。同じような場面が2度ずつ出てくるが、それぞれ少しずつ(あるいはかなり)違う。

一つの出来事だが、ジェフン(チョン・ボソク)とスジョンの観点によっていかに違うのかが見えてくる。

スジョンはヨンスがディレクターを務めるプロダクションの構成作家で、ジェフンはヨンスの後輩だ。

2人はヨンスをきっかけに出会い、ジェフンがスジョンに積極的にアプローチする。

最初にジェフンがスジョンに抱きついてキスしたのが、このコカルビの店を出た後だった。

ヨンスは酔っぱらって先にタクシーに乗って帰り、ジェフンはスジョンに「おもしろいものを見せてあげる」と言って路地裏に誘い込む。

狭くて入り組んだ路地は、きれいに整備された江南では出せない雰囲気だ。

観客としてはジェフンとスジョンのどちらの観点が事実なのかは分からないが、すべての出来事は相対的だ、ということなのかもしれない。

「カンウォンドのチカラ」もまた、時間の順序が入れ替わっているが、どの空間で起きた出来事なのかでつながりが見えてくる。 例えば、洛山寺(ナクサンサ)。
洛山寺は海沿いにある寺で、名勝地として知られる。
大学講師のサングォン(ペク・チョンハク)は洛山寺で、元恋人の大学生ジスク(オ・ユノン)の書いた文字を見つける。
瓦に願いを書いたもので、日本の絵馬のようなものだ。
ということは、ジスクが洛山寺を訪れたのは、サングォンが訪れる前の出来事だったということだ。
私も実はコロナ禍、江原道を訪れた時に洛山寺に寄って、瓦ではないが寺で配っていたリボンのような布に「コロナが早く収まりますように」と書き、他の参拝客にならって境内に結んで帰ってきた。
海風がとても気持ちよく、心が洗われるようだった。
ジスクは友達と3人で江原道を訪れたが、洛山寺には1人で行った。
景色を楽しむというよりも、池の中の亀を眺めたり、仏像を拝んだり、何か悩みを抱えているようだ。
おそらく、別れたサングォンのことなのだろう。
サングォンには妻がいて、2人は不倫の関係だった。

2人は江原道でそれぞれ他の異性と出会いながら、元恋人が忘れられない様子だ。

2人は同時期に江原道を訪れるが、出会うことはない。
正確には出会っていたかもしれないが、互いに気付かなかった。
映画の冒頭、ジスクは江原道に向かう列車の中でうとうとしている。
映画の後半では、同じ時空間が違う角度で映し出され、うとうとするジスクの背後でスルメとビールを買っていた男性がサングォンの友達、ジェワンだったことが分かる。
サングォンとジェワンは一緒に江原道に向かったので、同じ列車のかなり近い位置にサングォンとジスクがいたということだ。
元恋人たちは気付かないが、観客としては、2人のすれ違いを目撃することになる。
さらにジスクとサングォンが近接した時空間にいたことを暗示するのは、ある女性の転落死だ。
女性が誰なのか、自殺か他殺かは重要ではない。
重要なのは2人がこの女性の転落死をめぐって、つながっているという事実だ。
2人をつなぐものが転落死だというのは、観客の胸をざわつかせる。
ホン・サンス監督作の中には、「なぜこのシーンがあるのだろう?」と疑問に思うシーンがたくさん出てくるが、「カンウォンドのチカラ」では、日本の観客なら、テレビで日本の大相撲の中継が流れている場面に反応するのではなかろうか。
サングォンがキム教授の家を訪ねた時、キム教授が見ていたテレビだ。
大相撲の中継にどんな意味があるのかは定かではないが、ホン・サンス監督の母、全玉淑(チョン・オクスク)氏は日本語が堪能で、日韓をつないだフィクサーだった。
日韓の文化人だけでなく、多くの政治家やマスコミ関係者を全玉淑氏が陰でつないだ。
だから、ホン・サンス監督にとって大相撲の中継は日常的な一コマだったかもしれない。
偶然と必然、日常と非日常のミックス。
「カンウォンドのチカラ」というタイトルの「チカラ」は、それらがバラバラなようで、やっぱり結びついてしまう「チカラ」なのではなかろうか。
「オー!スジョン」も「カンウォンドのチカラ」もホン・サンス監督の初期の作品だが、その後の特徴がそこここに見える。
酒、不倫、教授、映画監督といった素材だけでなく、何より自由自在な時空間の表現だ。
ホン・サンス監督作を見るたび、そもそも記憶というものは、自由自在に入れ替わっているものだ、と気付かされる。
似たような素材でも作品が出てくるたびに見たくなるのは、どこか自分の人生との重なりを本能的に感じるからなのかもしれない。


ホン・サンス特集上映開催
菊川 ストレンジャー

ホン・サンス特集タイムテーブル

日時:2023年6月20日(火)~7月6日(木)
最初期・転換期・現在期の9本をセレクト上映
*6月23日(金)16:40「カンウォンドのチカラ」上映後、映画評論家・佐藤結さんのトークイベントが開催される


小説家の映画
監督・脚本・製作・撮影・編集・音楽:ホン・サンス
出演:イ・ヘヨン/キム・ミニ
2022年製作/92分
原題:The Novelist's Film
配給:ミモザフィルムズ
© 2022 JEONWONSA FILM CO. ALL RIGHTS RESERVED

6月30日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開


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