*

people

ワン・ビン

text
相田冬二

photo
星川洋助


寄り添うことによって
“偶然”に出逢うことを望んでいます

第24回東京フィルメックスのコンペティション審査員として来日したワン・ビン。同映画祭では2023年のカンヌ国際映画祭に出品された2本の新作「黒衣人」「青春」いずれもが上映された。滞在中も多忙を極める巨匠が単独インタビューに応じてくれた。その取材の全文を掲載する。

――音楽家、王西麟(ワン・シーリン)の姿を一幕ものの舞台のように捉えた「黒衣人」にまず驚かされました。パフォーマンス、モノローグ、エピローグの三部構成ですが、特に中盤。屈辱的な過去を述懐し、怒りに満ちた言葉に、彼が作曲した音楽を怒涛の如くぶつけています。時に彼自身の言葉が聴こえなくなるほどの強さと音量で。まるで魂の咆哮が合唱しているようでした。こんな映画は観たことがありません。映画メディアの可能性を感じました。

王西麟さんをどう撮るか。最初はごくシンプルな考えから始めました。彼は何曲も素晴らしい交響曲を作っている重要な作曲家であるにも関わらず、中国国内ではその実力にふさわしい評価を得てこなかった。中国の音楽界は、彼の音楽を普及する努力を怠ってきたため、彼の作品は関心を持たれていないのです。そんな王西麟さんに私が出来ることは何か。彼がドイツに移住した頃、既に私はパリに住んでいました。彼のためにビデオ作品を撮ろうと思った。当初は、正式にスクリーンで上映される映画を作るつもりではありませんでした。彼はかなりの高齢(1937年生まれの86歳)。人間の寿命は限られている。私は、今、自分が出来る限りのことをしなければいけない。強くそう思いました。最初はビデオアートのつもりで取り組みました。美術館などが私の作品として収蔵してくれれば、王西麟さんの人生は生き続ける。そのために記録しようとしたのです。彼を撮る上で、いちばん大事なことは、彼が音楽家であること。即興的なパフォーマンス、そして、彼が作曲してきた音楽作品。これは欠かせないものでした。具体的に撮影方法を考える上で、音楽をどのように使うかが、最も大きな課題となりました。音楽を使用することで、どのような可能性があるかを探っていったのです。

――あの音楽の導入の仕方には、ほんとうにびっくりしました。コロンブスの卵であり、しかも必然性に満ち溢れています。

ありがとうございます。

――つまり、あなたの王西麟への強いリスペクトが、あそこまで強い音響×映像を生み出したのですね。

そういうことです。私のこれまでの作品は、被写体が住んでいる場所で撮っていた。その人の生活を見つめるという姿勢で、ドキュメンタリーを撮り続けてきました。しかし、今回の王西麟さんは北京からドイツに移住し、ベルリンとマインツを行ったり来たりしている。そこで気づいたのです。自分のこれまでの方法を変える必要があると。彼が多くの人生を過ごしてきた北京では撮らない。では、どう撮るか。それを考えた時、劇場で撮るというアイディアが浮かびました。どこで撮るか。様々な選択肢がありました。ヨーロッパには教会が多い。教会という選択肢もあった。しかし、ここで宗教を絡めてしまうと何らかの誤解を生むかもしれない。その懸念から劇場を選びました。この劇場はパリでは非常に有名な所で、以前から大好きな劇場でした。

――あなたと王西麟が、同じ舞台の上で一緒にパフォーマンスしているような感覚にもなりました。これはこれまでのあなたの映画には起きなかったことです。

劇場であのようなパフォーマンスを撮るということは、つまり、ある程度はフィクションのように撮ることを選んだわけです。しかし、映画言語にどのような変化があったとしても、内面の表現――何を掴まえるか――については変わりがありません。どんなスタイルを選択したとしても、変わらないことがあるのです。北京で撮ろうとしても、このような作品は撮れないでしょう。もし北京で撮っていたら、色々なプレッシャーに囚われて、自分が撮りたいものをしっかりと撮ることは出来なかったでしょう。パリだからこそ自由に撮れた。自由な状態は、映画を撮る上で非常に重要です。リラックスして撮影に臨めた。撮影できたのはごく短い時間でしたが、王西麟さんが過去を振り返るという意味では、濃縮したものを抽出できたと思います。映画を撮る者、創作する者にとって、自由/不自由はとてつもない決定打になることを痛感しました。

――「黒衣人」が前に出る力強さだとすれば、衣料工場に住み込みで働く若者たちを追った「青春」は後ろから見据えるような力強さです。まだ20歳前後の若者たちは先行き不安な環境に縛りつけられていますが、同時にとても煌めいている。生きているという輝き。不安と輝きが同時に映しとられている。光と影という対比ではなく、光も影も同時にそこにある作品で感動しました。あの作品の撮影や編集でこれまでと違うことはありましたか。

ドキュメンタリー撮影は、大部分において被写体に対してコントロールを強いる状況になりがちですが、私はこれまで、コントロールを極力排除する態度で作品に向き合ってきました。私は、被写体の生活に立ち入らないことを心がけています。立ち入らずに、寄り添う。これが私の撮影態度です。先ほど“自由”の話をしましたが、被写体もまた自由であるべきで、出来るだけコントロールを受けにくくする。重要なのはここです。この「青春」からは、特にこの点に力を入れるようになりました。理性にコントロールされずに、ただ見つめ、寄り添って撮る。以前より意識的になりました。私は、偶然性を好みます。寄り添うことによって“偶然”に出逢うことを望んでいます。このこともまた、映画を撮る上で大事なことだと考えます。自分が努力していこうと思っていることは、寄り添っている対象に相応しい映画の美学を見つけていくこと。そのベクトルを決定していくことに努力を払いたい。中国の社会においては、「青春」の彼らのように出稼ぎに来て一生懸命働いている人も、私のように映画を撮っている者も、同じです。一つの仕事に向き合って、どうにかして生活を良くしたい。この想いは同じなのです。しかしながら、この想いを受けとめてくれる社会でもない。現実は非常に苦しく、まだ発展段階にある。大部分の人々は、そうしたシステムに取り込まれてしまっている。がんじがらめになっています。みんな一生懸命に努力して生きているのに、自分の時間を、人生を無駄にされてしまう。それが多くの人の状況だと思うのです。どう頑張っても、その苦境から抜けられない。どうしたら、そこから解放されるのか。それを撮りたかったのです。

――あなたの映画に出てくる人たちは、どのような過酷な状況にあっても生き生きしています。その理由がわかりました。コントロールしていないからですね。みんな自発的に話している。質問に答えているのではなく。

今までの中国では、文学であれ、他の芸術であれ、コントロールされて当たり前の状況でした。どこか中国の文学は“教えるもの”として作られていたように思います。多くの作家は、そのような社会における使命というものを自覚しながら創作していくしかなかったのです。

――だからこそ、あなたの作品は、被写体をコントロールしないことで、映画メディアの真の自由を獲得しているのですね。ありがとうございました。

*

「黒衣人」

*

「青春」


「黒衣人」
監督:ワン・ビン
2023年/60分/フランス・アメリカ・イギリス合作
原題:Man in Black
第24回東京フィルメックス にて上映

「青春」
監督:ワン・ビン
2023年/212分/フランス・ルクセンブルク・オランダ合作
原題:Youth (Spring)
配給:ムヴィオラ
2024年4月、シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
第24回東京フィルメックス にて上映


<関連記事>
people / ワン・ビン
review/死霊魂
people / 神谷直希 第24回東京フィルメックス

フォローする