実に不思議な映画だった。北京大学で教授を務めるヒョン。親しい先輩の葬式のために久しぶりに訪れた大邱で、亡き先輩と7年前に行った韓国の古都・慶州の伝統茶屋で見た春画のことを思い出した彼は、その場所を再訪することに。しかし、そこにはすでにその春画はなかった。当然春画の行方が気になるヒョンは、美しい店主ユニに尋ねるも、その怪しい行動に変態だと誤解されてしまう。そして、かつて妊娠までさせたことのある昔の彼女を慶州にまで呼び出し、あっさり見送ったかと思えば、ユニと心を通わせ、最終的に彼女のアパートにまでついていくことに…。
いったいヒョンという男はどんな人物なのか。その存在自体が抽象的であり、その人物像はこの映画を観る人によって、捉え方は大きく変わってくるだろう。そして、その捉え方によって、この映画の見え方そのものも大きく変わってくる。
筆者はこの映画をコメディ映画として観た。それは前情報としてそのような声が聞こえてきたから。しかし個人的には「慶州」という世界を舞台にした生臭いファンタジー映画に感じたのだ。
主人公ヒョンは不思議なフェロモンを放つ男である。そして欲望があるようで無い。いや実際にはあるのかもしれないが、それ以上に彼にしかわからない倫理を優先する。そしてこの映画には全編にわたって「死」を暗示する空気が漂っている。そのただならぬ空気を優しく包んでいるのが、慶州という場所なのである。
先に「生臭い」と表現したのは、通常のファンタジーの世界にはない生々しさがこの映画には存在するから。「慶州」は決してユートピアではない。実在の街であり、主人公も生身の人間である。しかしこの映画が観客と共有する時間の多くに古墳が映し出され、ユニのアパートからも(意図的なのか)古墳が見えるのだ。
韓国の南東部、慶尚北道に位置する慶州は、紀元前57年から935年まで、約1000年の栄華を誇った新羅王朝の都があった街。そのため数多くの貴重な歴史遺産が現存しているため「屋根のない博物館」と喩えられている。そして、古墳の街でもある。日本では「百舌鳥(もず)・古市古墳群」が世界文化遺産に登録される見通しとなり、改めて古墳の存在にスポットが当たっているが、慶州には新羅時代の王や王妃、貴族などの23基の古墳が点在、古墳を含めて公園と化し、日本のような特別視された存在ではなく、一部を除いてはまるで市民にとって一種の丘のような存在となっているところが興味深い。つまり「死」に近い場所である古墳が、慶州という街においては今を生きる人々にとってそれを特に感じさせない、ごくありふれた自然な場所として存在している。だからこそ「死」というものに対するリアリズムがより鮮烈に浮かび上がってくるのだ。つまり、この映画は「慶州」という街の存在なくして成り立たなかっただろう。
決して重たい映画ではない。だからと言って夢や希望を与える映画でもない。人にはいつかは死が到来し、その瞬間までどのような時間を過ごすべきなのか。この映画の登場人物たちは、それぞれの過去を提示しながら「慶州」という今を生きる空間を介し、人はゆっくりと死に近づいていくことをそれぞれの立場で軽やかに訴えているような気がするのである。
文:古家正亨
古家正亨
北海道出身。韓国大衆文化ジャーナリスト。韓国観光名誉広報大使を務める。NHKラジオ第1で「古家正亨のPOP★A」が放送中。
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