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CULTURE / MOVIE
真新しい郷愁、未知のセンチメンタリズム
「慶州(キョンジュ)ヒョンとユニ」

文章を綴っていて、いちばんいいのは、自動筆記状態になるときだ。
 己の意志や思考が、いつの間にか気にならなくなり、なにかに導かれるように、手ぶらのこころのままに、ことばが生まれ、次のことばにバトンを渡していく。
 それを書いているのは、確かに自分なのだが、主体性のようなものは既になくなっていて、書き手はただの「器」になっている。そこに、液体なのか固体なのかはわからないが、なにかが注がれたり、置かれたりして、ただそれを享受する状態と化す。
 考えないで、受けとるだけ。その連鎖と継続。そうして、「いつか・どこか」にたどり着く。 わからない。わからないが、一度はじまった文章は、やがて終わる。終わることになっている、と言うほうが正しいかもしれない。それは、わたしが決めたことではない。
 わたし以外のだれか。目に見えないだれかが決めたことに従っている。そのだれかとは生きものですらなく、ただのモノかもしれないが、とにかく自分に決定権がないことが、心地よい。なにも選べないこと。あるがままに、ついていくこと。過去もなければ未来もない。そのことに、ふと安堵している。これが、わたしが知っている自動筆記状態である。

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この映画の主人公はまさにそのような状態にあるのではないか。
 それなりに我の強いタイプではある。また、学者として自分の思考に自信も持っている。自発的に生きている自負もあるだろう。先輩の葬儀に参列したことから、慶州への旅を思いつき、ずっと気になっていたことを確かめようとする様にも主体性ははっきりある。そう、これは目的意識のある旅だ。流されているわけではない。
 だが、そうだったはずの彼は、目的地に着いてから、次第に主体性を失っていく。だが、それは、慶州という土地の磁場によるものかどうか。
 本作の魅惑は、「見知らぬ場所に迷い込む」というありきたりのフォーマットで、物語を規定しているわけではないことにある。あるいは、「旅が自分を発見させる」というような安直な展開でもない。
 そうではなく、プライドのある人物が、正体不明の他者(それは女性かもしれないし、目に見えない魔物かもしれないし、さらに言えば単なる物体、春画と呼ばれる芸術かもしれない)に呑み込まれることの愉悦を発見する過程がスリリングなのだ。そして、その過程が描き出す不可思議な情緒のグラデーションが行き着く果てで見せる光景に、なんとも言えぬ複雑な味わいがある。この監督の特異性は、脚本や演出、つまり筆致にあるのではなく、わたしたち観客の深層心理にふれてくるテクスチャにこそある。この感触はありそうでなかったものだ。真新しい郷愁。未知のセンチメンタリズム。精神のドアをノックするデジャブ。

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 だから、この映画をラブストーリーとして消化してしまう観客はいないだろうし、ミステリーやパズルとも思わないだろう。一風変わったファンタジーやホラー、と形容することは不可能ではないかもしれないが、既存の常識に準じたカテゴライズは独自のテクスチャを逃してしまうに違いない。
 文章を書く上で、自動筆記状態に「なる」ことは難しい。それは意図して向かうべきことではないからだ。たまたま「そうなっている」。ことによると、それは「恋する」という状態にも近いのかもしれない。相手にではなく、なにか「別のもの」に呑み込まれる愉悦こそが、恋と呼ばれるものだからだ。
 これはラブストーリーではない。だが、恋に呑み込まれる精神状態を引き伸ばし、活写した異形の一作でもある。

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Written by:相田冬二


「慶州(キョンジュ)ヒョンとユニ」
監督:チャン・リュル
出演:パク・ヘイル/シン・ミナ

6月8日(土)よりユーロスペース(東京)、横浜シネマリン(神奈川)、出町座(京都)にて公開にて公開
公式サイト


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